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『ごんぎつね』は何を伝えたかったのか──ふたりの「思いこみ」から読む

ごんぎつね|ごんと兵十は分かり合えたの?【考察】▶ YouTubeで見るごんぎつね|ごんと兵十は分かり合えたの?【考察】

「ごんぎつねって、けっきょく何なにが言いいたいお話はなしなの?」

そう聞きかれると、ちょっと困こまってしまいます。「思おもいやりの大切たいせつさ」でしょうか。「すれちがいの悲かなしさ」でしょうか。どれも間違まちがいではなさそうですが、どこか物もの足たりません。

この記事きじでは、「思おもいこみ」 という一いち本ほんの線せんで物語ものがたりをたどってみます。すると、ごんと兵十ひょうじゅうのどちらもが、相手あいてを自分じぶんの中なかで作つくり上あげていたことが見みえてきます。


ごんは、兵十ひょうじゅうのことを知しらなかった

まず、驚おどろくかもしれない事実じじつからです。

ごんが「知しっている」と思おもっていたことの多おおくは、本文ほんぶんに書かかれていません。

うなぎの場面ばめん

ごんは、兵十ひょうじゅうの母親ははおやが亡なくなったあと、こう考かんがえます。

ちょっ、あんないたずらをしなけりゃよかった。 兵十ひょうじゅうのおっかあは、とこについていて、うなぎが食たべたいと言いったにちがいない。

「にちがいない」——ごんの言葉ことばです。

本文ほんぶんをどれだけ探さがしても、兵十ひょうじゅうの母親ははおやがうなぎを食たべたがっていた場面ばめんはありません。 誰だれかがそう言いった描写びょうしゃもありません。

ごんは、兵十ひょうじゅうが悲かなしそうにしているのを見みて、「うなぎのせいにちがいない」と自分じぶんで結論けつろんを出だしたのです。

いわしの場面ばめん

同おなじことが、もう一度いちど起おこります。

兵十ひょうじゅうが「いわし屋やのやつにひどい目めにあわされた」と話はなすのを、ごんは聞ききます。そしてごんは、こう思おもいます。

かわいそうに兵十ひょうじゅうは、いわし屋やにぶんなぐられて、あんな傷きずをつけられたのか。

けれど本文ほんぶんに書かかれているのは、兵十ひょうじゅうのほっぺたのかすり傷きずだけです。

かすり傷きずから「ぶんなぐられた」を導みちびき出だしたのは、ごんの想像そうぞうです。


兵十ひょうじゅうもまた、思おもいこんでいた

では兵十ひょうじゅうはどうでしょうか。

兵十ひょうじゅうは、栗くりや松まつたけを届とどけていたのがごんだとは、最後さいごまで気きづきません。土間どまに入はいってきたごんを見みて、こう思おもいます。

ようし。……こないだうなぎをぬすみやがったあのごんぎつねめが、またいたずらをしに来きたな。

「またいたずらをしに来きたな」。 兵十ひょうじゅうの中なかのごんは、ずっと「ぬすっと」のままでした。

毎日まいにち届とどく栗くりを、兵十ひょうじゅうは「神かみさまのしわざ」だと思おもっていました。ごんが運はこんでいるとは、想像そうぞうもしていません。

ふたりとも、相手あいてを自分じぶんの中なかで作つくり上あげていた。 そして、その像ぞうは互たがいにずれていました。


思おもいこみでつながり、思おもいこみで離はなれる

ここが、この物語ものがたりのかたちだと思おもいます。

ごん  → 兵十を「うなぎで苦しめてしまった相手」だと思いこむ
      → だから栗を届ける(つながる)

兵十  → ごんを「ぬすっと」だと思いこむ
      → だから撃つ(離れる)

思おもいこみがなければ、ごんは栗くりを届とどけませんでした。 つぐないの気持きもちそのものが、思おもいこみから生うまれています。

そして同おなじ思おもいこみが、最後さいごにふたりを引ひき裂さきます。

思おもいこみは、この物語ものがたりの中なかで「悪わるいもの」として描えがかれていません。 つながりの始はじまりでもあり、別わかれの原因げんいんでもある。両方りょうほうなのです。


それでも、届とどいた瞬間しゅんかんがあった

物語ものがたりには、たしかに通つうじ合あう瞬間しゅんかんがあります。

「おや。」と兵十ひょうじゅうは、びっくりしてごんに目めを落おとしました。 「ごん、おまいだったのか。いつも栗くりをくれたのは。」 ごんは、ぐったりと目めをつぶったまま、うなずきました。

ごんは、うなずきます。

言葉ことばはありません。撃うたれたあとです。それでも、ごんは自分じぶんの気持きもちが届とどいたことを知しります。

これを「救すくい」と読よむこともできます。遅おそすぎたけれど、たしかに伝つたわった、と。

けれど、もう少すこし踏ふみ込こむこともできます。「伝つたわった」と感かんじたのも、ごんの思おもいこみだったのかもしれない、と。

そこまで読よむと、この場面ばめんはいっそう切せつなくなります。それでも私わたしは、ごんがうなずいたという事実じじつだけは、うたがわなくていいと思おもっています。


私わたしたちも、同おなじことをしている

ここまで来くると、この物語ものがたりが古ふるい童話どうわの話はなしではなくなってきます。

人ひとはみんな、自分じぶんの見方みかたで世界せかいを見みています。

  • 相手あいてが黙だまっていると、怒おこっていると思おもってしまう
  • 一度いちどそう思おもうと、そう見みえる証拠しょうこばかりが目めにつく
  • 本当ほんとうのところは、聞きいてみないと分わからない

ごんも兵十ひょうじゅうも、まっすぐに「信しんじたい」と思おもっていただけでした。悪意あくいはどこにもありません。それでも、すれちがいます。

思おもいこみは、なくすことができません。 けれど「これは自分じぶんの思おもいこみかもしれない」と気きづくことはできます。

新美南吉にいみなんきちが伝つたえたかったのは、そのあたりのことかもしれない——そう読よむと、この物語ものがたりはぐっと近ちかくなります。


考かんがえてみたい問とい

問といかけ ねらい
「ごんは、おっかあがうなぎを食たべたがってたって、どこで知しったんだろう?」 本文ほんぶんにないことに気きづく
「かすり傷きずなのに、なんで『ぶんなぐられた』って思おもったのかな」 想像そうぞうと事実じじつを区別くべつする
「兵十ひょうじゅうは、栗くりをだれが持もってきてると思おもってた?」 もう一方いっぽうの思おもいこみを見みる
「ごんがうなずいたとき、どんな気持きもちだったと思おもう?」 言葉ことばのない場面ばめんを想像そうぞうする
「思おもいこみって、悪わるいことばかりかな」 単純たんじゅんな答こたえから離はなれる

聞きくときのコツ

「本文ほんぶんのどこに書かいてある?」と一緒いっしょに探さがしてみてください。

「ごんがそう思おもっただけだ」と子こどもが自分じぶんで見みつけたときの反応はんのうは、教おしえてもらったときとまるで違ちがいます。発見はっけんは、渡わたされるより自分じぶんで拾ひろうほうが強つよく残のこります。

見みつからなくても大丈夫だいじょうぶです。「書かいてないね」と一緒いっしょに確認かくにんするだけでも、十分じゅうぶんに意味いみがあります。


おわりに

『ごんぎつね』は、悲かなしい結末けつまつを迎むかえます。けれど「かわいそうな話はなし」で片かたづけてしまうには、あまりに丁寧ていねいに作つくられています。

すれちがっても、思おもいは残のこる。

ごんの気持きもちは、遅おくれて兵十ひょうじゅうに届とどきました。そして、その物語ものがたりがいま私わたしたちのところまで届とどいています。

お子こさんが「でも、ごんはそう思おもっただけだよね」と言いい出だしたら——そこからが本番ほんばんです。ぜひ、じっくり聞きいてあげてください。


この記事きじは、YouTube「おわか文庫ぶんこ」の考察こうさつ動画どうがをもとに書かいています。ミアとハルンの会話かいわで聞ききたい方ほうは、動画どうがのほうもどうぞ。

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