『ちいちゃんのかげおくり』「それから何十年」──物語は、そこで終わらない
▶ YouTubeで見るちいちゃんのかげおくり|物語の続きとは?『ちいちゃんのかげおくり』は、ちいちゃんの命が空に消えたところで終わり——そう思っている方は、少なくないかもしれません。
けれど、物語はそこで終わりません。
そのあとに、こんな一文が続きます。
それから何十年。
ここで時間が大きく飛びます。そして、この物語の見え方が変わります。
いなくなったあとの世界

それまでの物語は、ちいちゃんの身に起きたことでした。家族といた日々、はぐれた夜、そして最後のかげおくり。
けれど「何十年後」の場面に、もうちいちゃんはいません。
町には、以前よりたくさんの家が建っています。戦争は終わり、暮らしが戻ってきたのです。
そして——ちいちゃんがひとりでかげおくりをしたあの場所は、小さな公園になっています。
笑い声が聞こえる場所

その公園で、子どもたちが遊んでいます。
ちいちゃんやお兄ちゃんくらいの年ごろの子どもたちが、きらきらした笑い声を上げている、と書かれています。
明るい場面です。平和そのものの風景です。
けれど、そこはちいちゃんがひとりで倒れた場所でもあります。
その子どもたちは、知らない

ここで、不思議な気持ちになります。
公園で遊んでいる子どもたちは、ちいちゃんのことを知りません。
何十年も前、この場所で小さな女の子が家族を待ち続けたこと。ひとりで空を見上げたこと。そこで命を終えたこと。何ひとつ知らずに、笑って遊んでいます。
これは、いいことなのでしょうか。それとも、悲しいことなのでしょうか。
二つの読み方

ここには、二通りの読み方があると思います。
ひとつ目——よかった、という読み方
子どもたちが安心して遊べる町になった。戦争が終わり、あの日のようなことは起きなくなった。これは、とても大切なことです。
ちいちゃんが取り戻せなかった「ふつうの毎日」を、いまの子どもたちは当たり前のように生きています。
ふたつ目——忘れられてしまった、という読み方
けれど同時に、ちいちゃんのことは誰の記憶にも残っていません。名前も残っていない。ただ、公園になっただけです。
あの出来事は、なかったことのようになっている。
ここで、大事なことがあります

そのうえで、考えてみてほしいことがあります。
公園の子どもたちは、ちいちゃんを知りません。
けれど、この物語を読んだあなたは、知っています。
——ここが、この結末のいちばん大切なところだと思います。
なぜ、この物語は書かれたのか。 おそらく、忘れないためです。
物語の中の人たちが忘れても、読んだ人が覚えていれば、それは消えたことにはなりません。
「それから何十年」が、つないでいるもの

こう考えると、あの一文の役割が見えてきます。
「それから何十年」は、ただ時間が過ぎたことを知らせているのではありません。
ちいちゃんの出来事を 「過去のこと」として置き、そのうえで、いまを生きている私たちにつないでいる のです。
ちいちゃんはいません。けれど、その場所は残っています。そして、その場所で何があったのかを、私たちは知っています。
この物語は、「おしまい」で終わりません。読んだ人が考え続けるところまでが、この物語の続きなのだと思います。
いま、この文章を読みながらちいちゃんのことを考えていること——それ自体が、そのつながりの一つなのかもしれません。
考えてみたい問い
| 問い | ねらい |
|---|---|
| お話は、ちいちゃんが消えたところで終わり? | 結末の構造に気づく |
| 公園で遊んでいる子は、ちいちゃんのことを知ってると思う? | 忘却について考える |
| 平和になったのは、うれしいこと? さみしいこと? | 単純に決めない |
| どうして作者は、この場面を最後に書いたんだろう | 書いた理由を考える |
ここは、答えを急がなくていい場面です。 「うれしいけど、さみしい」と言えたなら、それがこの結末をいちばんよく受け取った答えだと思います。
この記事は、YouTube「おわか文庫」の考察動画をもとに書いています。あわせてかげおくりの意味は、なぜ変わったのか、「悲しい」と書かない悲しい話、ちいちゃんは幸せだったのかもどうぞ。
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