『一つの花』お父さんはなぜ、花を渡したのか──ゴミ捨て場に咲いていたコスモス
▶ YouTubeで見る一つの花|どうしてお父さんは花を渡したの?お父さんが戦争へ発つ日。
駅で泣きだしたゆみ子に、お父さんが渡したのは、一輪のコスモスでした。
食べ物でもなく、おもちゃでもなく、花。しかも、ゴミ捨て場のようなところに、忘れられたように咲いていた花です。
なぜ、この花だったのでしょうか。
ここでも出てくる「一つだけ」

お父さんは、花を渡すときにこう言います。
一つだけのお花、大事にするんだよう。
ここでも「一つだけ」という言葉が使われています。
けれど、この「一つ」は、それまでの「一つ」とは意味がちがいます。
- これまでの「一つ」——食べ物が足りないから、それだけしかあげられない「一つ」
- この花の「一つ」——お父さんが、ゆみ子のために見つけてきた「一つ」
同じ言葉なのに、足りないことの印から、選び取られたものの印へと、意味が入れかわっているのです。
物語の中でこの言葉がずっとくり返されてきたからこそ、この場面での意味の変化が効いてきます。
コスモスは、本当はたくさん咲く花

もう一つ気づきたいのは、選ばれた花がコスモスだということです。
コスモスは、ふつうは群れて咲く花です。コスモス畑という言葉があるとおり、一面に咲きそろっている姿こそが、この花らしい姿でしょう。
ところが物語の中では、たった一輪だけ、しかもゴミ捨て場のようなところに咲いています。
本来ならたくさんあるはずのものが、一つしかない。
これは、ゆみ子の世界そのものです。
- 食べ物も、一つだけ
- ゆみ子の言葉も、「一つだけ」
- そして花も、一つだけ
戦争の時代は、何もかもが足りない世界だった。 その世界の姿が、一輪のコスモスに重なって見えます。
なぜ、食べ物ではなかったのか

お父さんは、食べ物を渡すこともできたかもしれません。泣いているゆみ子には、そのほうが手っ取り早かったはずです。
けれど、食べ物は食べてしまえばなくなります。
花なら、しばらく残ります。そして——気持ちを残すことができます。
これが最後になるかもしれない別れの日に、お父さんが渡したかったのは、その場をしのぐものではなく、あとに残るものだったのではないでしょうか。
コスモスという花が選ばれたこと

コスモスの花言葉は「調和」などとされ、「平和」 の意味で語られることもあります。
もちろん、作者がその意味を込めたと本文に書いてあるわけではありません。けれど、これから戦争へ向かう父親が、娘に手渡した花がコスモスだった——そう思って読むと、この場面に別の色が差してきます。
戦地へ発つ人が、平和を思わせる花を残していく。そこに願いを読み取ることは、決して的外れではないように思います。
拾われた花であること

最後に、この花が捨て場のようなところに咲いていたという点を、もう一度考えたいと思います。
だれにも見向きもされず、忘れられたように咲いていた花。それをお父さんは見つけ、摘み取って、娘に手渡しました。
見過ごされていたものを見つけて、いちばん大切な人に渡す。
大げさな贈り物ではありません。けれど、足りないものだらけの世界の中で、お父さんにできる精いっぱいのことでした。
小さな花が、この物語のいちばん大きな場面になっているのは、そのためだと思います。
考えてみたい問い
| 問い | ねらい |
|---|---|
| お父さんは、どうして食べ物じゃなくて花を渡したんだろう | 選択の意味を考える |
| この花は、どんなところに咲いていた? | 本文を確かめて読む |
| コスモスって、本当はどんなふうに咲く花かな | 一輪であることの意味に気づく |
| お父さんの「一つだけ」と、ゆみ子の「一つだけ」は、同じ意味かな | 言葉の変化に気づく |
この記事は、YouTube「おわか文庫」の考察動画をもとに書いています。あわせて「一つだけちょうだい」は、こわい言葉だった、「なぜ題名は『一つの花』なのか」、「書かれていない気持ちの読み方」もどうぞ。
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