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新美南吉ってどんな人?──『ごんぎつね』を書いたのは18歳のときだった

新美南吉|4歳で母を亡くし、29歳で旅だった永遠に愛される児童書作家▶ YouTubeで見る新美南吉|4歳で母を亡くし、29歳で旅だった永遠に愛される児童書作家

『ごんぎつね』も『手袋てぶくろを買かいに』も、読よんだあとに残のこるのは、さびしいのに、あたたかいという不思議ふしぎな感かんじです。

どうしてあんな物語ものがたりが書かけたのか。作者さくしゃ・新美南吉にいみなんきち(にいみなんきち) の生涯しょうがいをたどってみると、その手てがかりが見みえてきます。

お子こさんに「この人ひとはね」と話はなせる材料ざいりょうとして、要点ようてんをまとめました。

この記事きじの事実じじつ関係かんけいは、新美南吉にいみなんきち記念きねん館かん(愛知あいち県けん半田市はんだし)の公式こうしきサイトの生涯しょうがい年表ねんぴょうを参照さんしょうしています。


まず、驚おどろくところから

『ごんぎつね』のもとになった「権狐ごんぎつね」を書かいたとき、南吉なんきちは18歳さいでした。

雑誌ざっし『赤あかい鳥とり』に「ごん狐きつね」として載のったのが、その翌年よくねん。19歳さいです。

高校こうこうを出でたばかりの年齢ねんれいで、百ひゃく年ねん近ちかく読よみ継つがれる作品さくひんを書かいていたことになります。子こどもに話はなすと、たいてい驚おどろいてくれます。

そして——29歳さいで亡なくなっています。

作家さっかとして活動かつどうできた時間じかんは、驚おどろくほど短みじかいのです。


4歳さいで、母ははを亡なくす

南吉なんきちは1913年ねん(大正たいしょう2年ねん)、愛知あいち県けん半田はんだ町まち(いまの半田市はんだし)に生うまれました。畳屋たたみやの家いえの次男じなんです。

本名ほんみょうは新美にいみ正八しょうはち。生うまれてすぐに亡なくなった兄あにと、同おなじ名前なまえをつけられました。

4歳さいのとき、母ははりゑが病気びょうきで亡なくなります。

その後ご、継母けいぼをむかえ、8歳さいのときには母ははの実家じっかである新美にいみ家いえの養子ようしになります。けれど——記念きねん館かんの年表ねんぴょうには、こう書かかれています。

寂さびしさに耐たえられず、12月つき、渡辺わたなべ家かに戻もどる。

養子ようしに出でて、数すうか月げつで戻もどってきているのです。

自分じぶんの居場所いばしょが定さだまらない子こども時代じだい。この体験たいけんが、作品さくひんの底そこに流ながれているように思おもえてなりません。


ひとりぼっちのきつねたち

南吉なんきちの作品さくひんには、小ちいさくて弱よわいものがよく出でてきます。

  • ごん(ごんぎつね)
  • 子こぎつね(手袋てぶくろを買かいに)
  • でんでんむし(でんでんむしのかなしみ)

そして、そのどれもがひとりぼっちか、誰だれかに思おもいを届とどけられずにいる存在そんざいです。

ごんは「ひとりぼっちの小しょうぎつね」と書かかれています。人ひとに近ちかづきたいのに、届とどかない。

きつねという生いきものの選えらび方かたにも、意味いみがあるように思おもいます。きつねは人里ひとざとの近ちかくにいて、人ひとに見みられているのに、決けっしてわかり合あえない。近ちかいのに、届とどかない存在そんざいです。

自分じぶんの心こころを映うつすのに、ちょうどよかったのかもしれません。


教員きょういんとしての南吉なんきち

南吉なんきちは、学校がっこうの先生せんせいでもありました。

18歳さいのとき、母校ぼこうの小学校しょうがっこうで代用教員だいようきょういんとして働はたらきます。ここで子こどもたちに語かたって聞きかせた話はなしが、のちの作品さくひんにつながったとも言いわれています。

その後ご、東京とうきょう外国がいこく語ご学校がっこう(いまの東京外国語大学とうきょうがいこくごだいがく)に進すすみますが、体からだを壊こわして帰郷ききょう。25歳さいのとき、安城あんじょう高等こうとう女学校じょがっこうの教諭きょうゆになります。

教おしえ子ごたちに慕したわれた先生せんせいだったそうです。

物語ものがたりが子こどもに届とどく言葉ことばで書かかれているのは、目めの前まえに子こどもがいたからかもしれません。


病気びょうきとともにあった人生じんせい

21歳さいのとき、初はじめての喀血かっけつ。 結核けっかくでした。

以後いご、体調たいちょうを崩くずしては持もち直なおすことを繰くり返かえします。28歳さいのときには、弟おとうとに遺言ゆいごん状じょうを書かいています。

それでも——29歳さいの年としに、代表だいひょう作さくを次々つぎつぎに書かき上あげます。

昭和しょうわ17年ねんの3月つきから5月つきにかけて、「ごんごろ鐘かね」「おじいさんのランプ」「花はなのき村むらと盗人ぬすびとたち」「牛うしをつないだ椿つばきの木き」。10月つきには初はじめての童話どうわ集しゅう『おじいさんのランプ』が出でます。

そして翌年よくねんの3月つき22日にち、喉頭結核こうとうけっかくで亡なくなります。29歳さい7か月げつでした。

初はじめての童話どうわ集しゅうを出だした、わずか5か月げつ後ごのことです。


「かわいそう」とは書かかなかった人ひと

ここまで読よむと、南吉なんきちは不遇ふぐうの人ひとに見みえるかもしれません。

けれど記念きねん館かんの紹介しょうかい文ぶんには、こう書かかれています。

文学ぶんがくの師しである北原白秋きたはらはくしゅう、先輩せんぱい詩人しじんの巽聖歌たつみせいか・与田凖一よだじゅんいち、恩師おんしの遠藤慎一えんどうしんいち・佐治克已さじかつみ、(中略ちゅうりゃく)そして小学校しょうがっこうや女学校じょがっこうでの教おしえ子ご達たちなど数すう多おおくの出会であいに恵めぐまれもしました。

さびしさだけの人生じんせいではありませんでした。

そして作品さくひんを読よみ返かえすと、あることに気きづきます。南吉なんきちは、弱よわいものを「かわいそう」とは書かいていません。

ごんは、同情どうじょうされる存在そんざいではありません。自分じぶんで気きづき、自分じぶんで行動こうどうする存在そんざいとして描えがかれています。子こぎつねも、でんでんむしもそうです。

ちゃんと心こころのある存在そんざいとして扱あつかっている。 ここに、南吉なんきちのやさしさがあると思おもいます。


考かんがえてみたい問とい

問といかけ ねらい
「ごんぎつねを書かいた人ひと、何なん歳さいだったと思おもう?」 驚おどろきから入はいる
「南吉なんきちさんも、ひとりぼっちだったんだって。ごんと似にてるかな?」 作者さくしゃと作品さくひんを重かさねてみる
「どうしてきつねのお話はなしをたくさん書かいたんだろう」 選えらばれた理由りゆうを考かんがえる
「南吉なんきちさんは、ごんをかわいそうな子こだと思おもってたのかな」 同情どうじょうとはちがう視線しせんに気きづく

作者さくしゃを知しると、物語ものがたりの読よみ方かたが変かわることがあります。ただし、「作者さくしゃがこうだったから、この作品さくひんはこういう意味いみだ」と決きめつけないほうが楽たのしいとも思おもいます。

「そうかもしれないね」くらいで止とめておくと、想像そうぞうの余地よちが残のこります。


もっと知しりたい方ほうへ

新美南吉にいみなんきち記念きねん館かん(愛知あいち県けん半田市はんだし)では、生涯しょうがい年表ねんぴょうや作品さくひんの解説かいせつが公開こうかいされています。夏なつには「ごんぎつね教室きょうしつ」なども開ひらかれているようです。

秋あきには、記念きねん館かんのそばの矢勝川やかちがわ堤つつみに彼岸花ひがんばなが咲さきます。『ごんぎつね』に出でてくる、あの彼岸花ひがんばなです。

→ 新美南吉にいみなんきち記念きねん館かん 公式こうしきサイト


おわりに

18歳さいで『ごんぎつね』を書かき、29歳さいで世よを去さった人ひと。

さびしさを知しっていたからこそ、やさしさを書かけた人ひとなのだと思おもいます。

南吉なんきちの物語ものがたりが読よんだあとに残のこしていくのは、小ちいさな光ひかりのようなものです。教科書きょうかしょで出会であったお子こさんに、書かいた人ひとのことも少すこし話はなしてみてください。物語ものがたりの見みえ方かたが、ほんの少すこし変かわるかもしれません。


この記事きじは、YouTube「おわか文庫ぶんこ」の考察こうさつ動画どうがをもとに書かいています。ミアとハルンの会話かいわで聞ききたい方ほうは、動画どうがのほうもどうぞ。

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