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『注文の多い料理店』なぜ二人の顔は戻らなかったのか──犬に助けられたあとに残るもの

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二人ふたりの紳士しんしは、最後さいごには山猫やまねこ軒のきから助たすかります。けれど、こわがってくしゃくしゃの紙かみくずのようになった顔かおは、お湯ゆに入はいっても元もとに戻もどりません。

体からだは助たすかったのに、なぜ顔かおだけが戻もどらなかったのでしょうか。物語ものがたりの最後さいごに残のこされた場面ばめんを考かんがえてみます。

二人ふたりは、食たべられる側がわだと気きづく

鉄砲てっぽうを置おかされ、服ふくを脱ぬがされ、クリームを塗ぬらされ、最後さいごに塩しおを体からだにもみ込こむように言いわれます。

ここで二人ふたりは、自分じぶんたちが料理りょうりされる側がわだったと気きづきます。そして、顔かおがくしゃくしゃの紙かみくずのようになるほど泣なき出だします。

それまで立派りっぱな服ふくを着きて、鉄砲てっぽうを持もっていた二人ふたりは、食たべられるかもしれないというこわさの前まえで、何なにもできなくなります。

外側そとがわの立派りっぱさは、二人ふたりを守まもれない

二人ふたりは、イギリスの兵隊へいたいのような格好かっこうをし、ぴかぴかの鉄砲てっぽうを持もっています。自分じぶんたちを立派りっぱに見みせるものを身みにつけています。

けれど、山猫やまねこ軒のきではその立派りっぱさは役やくに立たちません。鉄砲てっぽうは置おかされ、服ふくも脱ぬがされます。

紙かみくずのような顔かおは、ただこわがった顔かおではなく、外側そとがわの立派りっぱさが崩くずれた顔かおとも読よめます。

自分じぶんも一ひとつの命いのちだと知しる

二人ふたりは、動物どうぶつを撃うって楽たのしもうとしていました。犬いぬが倒たおれたときも、その命いのちより損そんをした金額きんがくを先さきに考かんがえます。

ところが山猫やまねこ軒のきで、二人ふたり自身じしんが食たべ物ものとして扱あつかわれます。自分じぶんも、だれかにとっては食たべられる側がわになるかもしれない命いのちだと、身みをもって知しることになります。

顔かおが戻もどらないのは、このこわさを知しってしまったしるしなのかもしれません。

最初さいしょに倒たおれた犬いぬが、助たすけに来くる

二人ふたりを助たすけたのは、最初さいしょに倒たおれたはずの犬いぬたちです。犬いぬたちは山猫やまねこ軒のきに飛とび込こみ、山猫やまねこを追おい払はらいます。

二人ふたりは犬いぬが倒たおれたとき、悲かなしむより先さきにお金かねのことを言いいました。その犬いぬたちが、最後さいごには二人ふたりの命いのちを救すくいます。

二人ふたりが大切たいせつに見みていなかった命いのちに助たすけられる場面ばめんは、静しずかですが大おおきな意味いみを持もっているように見みえます。

二人ふたりは、元もとに戻もどったのか

二人ふたりは猟師りょうしに助たすけられ、団子だんごを食たべ、山鳥やまどりを買かって東京とうきょうへ帰かえります。

食たべられるこわさを知しったあとでも、二人ふたりはまた食たべる側がわへ戻もどっています。二人ふたりがすっかり変かわったとは、物語ものがたりには書かかれていません。

だから、顔かおが戻もどらないことは罰ばちとも読よめますし、何なにもなかったことにはできないというしるしとも読よめます。二人ふたりは山猫やまねこ軒のきで見みたものを、忘わすれられないのかもしれません。

考かんがえてみたい問とい

問とい 考かんがえる手てがかり
二人ふたりの顔かおが紙かみくずのようになったのは、どんな気持きもちからだろう? 二人ふたりが何なにに気きづいたかを考かんがえる
なぜ犬いぬたちは、二人ふたりを助たすけに来きたのだろう? 犬いぬが倒たおれたときの二人ふたりの言葉ことばと比くらべる
顔かおが戻もどらなかったことは、罰ばちだと思おもう? それとも忘わすれられない気きづきだと思おもう? 助たすかったあとの二人ふたりの行動こうどうを読よむ

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