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『銀河鉄道の夜』「ほんとうの幸い」とは何か──ジョバンニは、なぜ最後に走ったのか

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『銀河ぎんが鉄道てつどうの夜よる』には、「ほんとうの幸さいわい」という言葉ことばが何なん度ども出でてきます。でも、ジョバンニにもカムパネルラにも、その答こたえは最後さいごまで分わかりません。

分わからないまま、ジョバンニは現実げんじつの世界せかいへ戻もどり、お母かあさんのもとへ走はしり出だします。その姿すがたから、物語ものがたりに残のこされた問といを考かんがえてみます。

さそりの火ひが願ねがったこと

旅たびの途中とちゅう、ジョバンニたちは赤あかく燃もえる「さそりの火ひ」を見みます。さそりは、これまで小ちいさな虫むしを食たべて生いきていました。

ところが、いたちに食たべられそうになり、必死ひっしに逃にげて井戸いどに落おちます。そのときさそりは、自分じぶんの命いのちを何なにの役やくにも立たてられないまま失うしなうのではなく、みんなの幸しあわせのために使つかってほしいと願ねがいます。

その願ねがいによって、さそりは夜よるの闇やみを照てらす火ひになりました。ここには、自分じぶんの命いのちを誰だれかのために使つかうことへの願ねがいが描えがかれています。

ジョバンニとカムパネルラの願ねがい

船ふねから来きた人ひとたちが列車れっしゃを降おりたあと、ジョバンニはカムパネルラに、どこまでも一緒いっしょに行いこうと言いいます。

そして、みんなの幸しあわせのためなら、自分じぶんの体からだなど何なん度ど焼やいても構かまわないと話はなします。カムパネルラも「僕ぼくだってそうだ」と答こたえます。

二人ふたりは、さそりのように誰だれかのために生いきることを、ほんとうの幸さいわいの一ひとつとして考かんがえたのでしょう。でも、そのあとも二人ふたりは「ほんとうの幸さいわい」が何なになのか分わからないと言いいます。

だれかのため、と自分じぶんの幸しあわせ

カムパネルラは、ザネリを助たすけました。ジョバンニは、病気びょうきのお母かあさんを心配しんぱいしながら暮くらしています。二人ふたりには、だれかを大切たいせつにしたい思おもいがあります。

けれど、だれかのために自分じぶんをすべてなくしてしまえばよいのか、物語ものがたりは答こたえません。カムパネルラの別わかれを前まえにして、ジョバンニにはその答こたえがいっそう難むずかしくなったはずです。

「ほんとうの幸さいわい」は、一人ひとりで決きめられるものではなく、相手あいての幸しあわせや自分じぶんの生いき方かたと結むすびついているのかもしれません。

答こたえを知しらないまま、走はしり出だす

旅たびから戻もどったジョバンニは、カムパネルラのことを知しります。それでも、まだ温あたたかい牛乳ぎゅうにゅうを抱かかえ、お母かあさんのもとへ走はしります。

ジョバンニは、ほんとうの幸さいわいの答こたえを見みつけたから走はしったのではありません。答こたえが分わからないまま、今いま、自分じぶんを待まっているお母かあさんのところへ向むかうのです。

大おおきな問といにすぐ答こたえが出でなくても、目めの前まえにいる人ひとのためにできることはある。ジョバンニの走はしる姿すがたは、そのことを示しめしているように見みえます。

物語ものがたりのあとも続つづく問とい

『銀河ぎんが鉄道てつどうの夜よる』は、「ほんとうの幸さいわいはこれです」と教おしえて終おわる物語ものがたりではありません。

誰だれかのために生いきること。自分じぶんの生活せいかつを大切たいせつにすること。悲かなしい別わかれのあとも、目めの前まえの人ひとのもとへ戻もどること。いくつもの場面ばめんが、読よむ人ひとに考かんがえる手てがかりを渡わたしています。

答こたえが決きまっていないからこそ、この問といは物語ものがたりを読よみ終おえたあとにも残のこります。

考かんがえてみたい問とい

問とい 考かんがえる手てがかり
さそりが願ねがったことは、ほんとうの幸さいわいだと思おもう? さそりの火ひの場面ばめんを読よみ返かえす
ジョバンニとカムパネルラは、何なにを大切たいせつにしようとしたのだろう? 二人ふたりの言葉ことばと行動こうどうを比くらべる
ジョバンニは、なぜ答こたえが分わからないまま走はしったのだろう? 牛乳ぎゅうにゅうとお母かあさんの存在そんざいに注目ちゅうもくする

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