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『やまなし』命はめぐる──賢治が水の底に描いたもの

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『やまなし』を読よみ終おえたとき、多おおくの人ひとの心こころに残のこるのは、悲かなしさよりも、どこか静しずかで、あたたかい感触かんしょくではないでしょうか。

五月ごがつには、命いのちが奪うばわれる場面ばめんがありました。十二月じゅうにがつには、実みのりがもたらされる場面ばめんがありました。このふたつをつなげて読よむと、賢治けんじがこの物語ものがたりに込こめたものが見みえてきます。


「死しんだ」のあとに、もう一度いちど「わらった」

物語ものがたりの入いり口くちで、クラムボンは笑わらい、死しに、殺ころされます。けれど物語ものがたりはそこで終おわりません。もう一度いちど、クラムボンは笑わらいます。

五月ごがつでかわせみに命いのちを奪うばわれた魚さかなも、物語ものがたりの中なかでは悲かなしみとして描えがかれてはいません。お父とうさん蟹かには、ただ淡々たんたんと「鳥とりだよ」と言いうだけです。

そして十二月じゅうにがつ、同おなじように天井てんじょうから落おちてくるものは、香かおり高たかいやまなしでした。沈しずんで、二に日にちたてば、おいしいお酒さけになる。 消きえてしまうのではなく、姿すがたを変かえて、誰だれかの中なかに残のこっていくのです。

死しんで終おわるのではなく、変かわって続つづいていく。 それが、この物語ものがたりがくり返かえし見みせてくる形かたちです。


賢治けんじの妹いもうと、トシのこと

宮沢みやざわ賢治けんじには、歳としの近ちかい妹いもうと・トシがいました。仲なかのよい兄妹きょうだいだったと伝つたえられています。

賢治けんじの作品さくひんには、大切たいせつな人ひとを失うしなった悲かなしみと、それでも「どこかで続つづいている」と信しんじたいという思おもいが、たびたび顔かおを出だします。『やまなし』の水みずの底そこの世界せかいも、そうした賢治けんじの心こころの風景ふうけいと重かさねて読よむ人ひとが少すくなくありません。

もちろん、これは数かずある読よみ方かたのひとつです。『やまなし』という物語ものがたりそのものは、誰だれの死しとも名指なざししていません。けれど、死しんでも、消きえるのではなく、どこかで生いきている——そう信しんじたい気持きもちが、この物語ものがたりの底そこに流ながれているとしたら。クラムボンの笑わらい声ごえも、やまなしの香かおりも、少すこしちがって聞きこえてくるかもしれません。


静しずかなのに、あたたかい物語ものがたり

『やまなし』には、大おおきな事件じけんも、はっきりした教訓きょうくんも出でてきません。蟹かにの子こどもたちが笑わらったり、こわがったり、ケンカしたりする、ただそれだけの物語ものがたりのようにも見みえます。

けれど、五月ごがつの危あやうさと十二月じゅうにがつの実みのりを両方りょうほうくぐり抜ぬけたあとに読よみ返かえすと、この物語ものがたりがずっと伝つたえていたことに気きづきます。

命いのちは、奪うばわれても終おわらない。形かたちを変かえて、めぐっていく。

クラムボンが「かぷかぷ」と笑わらうのも、やまなしが「いいにおい」を放はなつのも、水みずの底そこで静しずかに続つづいている、同おなじひとつの命いのちのリズムなのかもしれません。


考かんがえてみたい問とい

問とい ねらい
クラムボンは、最後さいごにもう一度いちど笑わらったね。それってどんな気持きもちだと思おもう? 物語ものがたり全体ぜんたいを振ふり返かえる
かわせみに食たべられた魚さかなと、やまなしが沈しずむこと。似にているところはあるかな 対比たいひを統合とうごうして考かんがえる
「死しんでも終おわらない」って、どういうことだと思おもう? 抽象ちゅうしょう的てきなテーマを自分じぶんの言葉ことばにする
大切たいせつな人ひとのことを、いつまでも覚おぼえていることについて、どう思おもう? 感情かんじょうに寄より添そう対話たいわ(無理むりに答こたえを出ださなくてよい)

最後さいごの問といは、答こたえを急いそがなくて大丈夫だいじょうぶです。子こどもが黙だまって考かんがえている時間じかんも、大切たいせつな時間じかんです。


作品さくひん情報じょうほう

項目こうもく 内容ないよう
作品さくひん名めい やまなし
作者さくしゃ 宮沢みやざわ賢治けんじ

この記事きじは、YouTube「おわか文庫ぶんこ」の考察こうさつ動画どうがをもとに書かいています。あわせて「クラムボンとは何なにか」、「五月ごがつと十二月じゅうにがつ、光ひかりといのちの対比たいひ」もどうぞ。

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